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TDR友の会 遊撃隊:福島キャンプツーリング(その1) [旅]

仁井田浦キャンプ場

せっかくのGWだというのに、K氏は変なシフトのため連続した休みが取れないと嘆いていた。かろうじて連休となった4-5日、ご一緒させていただくことになった。

最初は壮大な計画であった。このところのTDR友の会は、午後集合、キャンプ地を探しつつツーリングもしくはキャンプ地直行。夜中まで飲んで火遊びし、翌日昼前に解散という、走ることをすっかり忘れたような企画が相次いでいた。まあ人もバイクも年寄りなので、それくらいでよくなってきているのだが・・・
なので今回は走ることにK氏こだわっていたのだ。

「日本海を見に行きたいです。富山とか石川とか」

まるでサンライズ・サンセットラリー、はたまたKOFかというような壮大な計画を立てていた。
ところが天気は我々の予定表を見て嫌がらせしたのではと言うような予報になった。4日より西の方から天気が崩れ、5日は東日本を低気圧と雨雲が通過するという。GWでこの2日間だけ雨マークありだ。ぬなー!!

3時間ごとに天気予報とにらめっこが続いた。
西日本は雨確実。雨は日本海側へと広がり、東北へ抜けていく。日本海行きはダメだー。長野もいかん。新潟は最初晴れてるが、午後雨確実。

前日の予報では、周りは雨だが、北関東から太平洋側にかけてぽっかりと雨から逃れているエリアができた。
「これ埼玉、群馬に行けってことですか。それじゃこのところのツーリングと全然変わらんじゃないですか」
もう集合場所でどうするか相談しようと、朝5時半頃、家を出た。いつもよりやけに早いのは、走るゾーッと気合いが入っているK氏の一声で、今日の集合は午前8時に道の駅はなぞのだからだ。





花園までは毎度の荒川河川敷沿いルートだが、今日こそは広域農道を行こうとナビとにらめっこしながら慎重にTDRを走らせた。同じ道を行く車にも助けられ、早朝だからか車のペースも凄く良くて、またまた30分前には最後の荒川の橋を渡った。
朝Macで人間の燃料を補給して、向かいのGSでTDRも腹ごしらえさせると、時間ぴったりに道の駅はなぞのに入った。気合いたっぷりのK氏は一足先に到着していた。

「天気予報見ましたか?何の嫌がらせですかね。どうします?」
「逃げましょう雨から。迫ってくる雨雲を逃げるように行くと、茨城の海の方に走ってく感じですかね」
二昔前の業務用汎用機より性能がいい今のスマホはすごい。通信で最新の地図を開き、海の方のキャンプ場を探す。
「福島まで行けば海っぺたにキャンプ場がいくつかありますよ。行けますかね。どうやって行けばいいのかな」
「ツインリンクもてぎの茂木を通過するように行ったらどうでしょう」
「ほお。それじゃまずは茂木まで」
TSOの持ってるヒュンダイナビと、K氏のスマホのぐーぐるナビでルートを探させると、太田市、足利市、小山市、真岡市、益子町と経由してやっとこ茂木町に至った。栃木県の南部を横断だ。
道案内はK氏のスマホのぐるぐるナビにさせて茂木に向けて出発した。

二昔前のタンスのように大きかった汎用機を超える性能の手のひらサイズのスマホが案内したルートは凄い。最短距離を常に探してくれ、地元民しか知らないような裏道抜け道を次々に案内する。TSOのヒュンダイナビが主要道で行こうとするところに、なぜここで曲がる?という道へ導かれるものだからついていけない。ヒュンダイナビはルートを指し示しているより、ルート再検索中の画面の方が長いんじゃないだろうか。しかもスマホは渋滞具合まで見ているのか、ふん詰まってくると違う道へ案内してくる。R4を北上してたとき、渋滞が始まったとたん、併走する側道に誘導され、横に連なる渋滞の列を横目に完璧にそこをパスした時には、
「もしかして衛星から俺らを見張って誘導してくれてるのでは」
という錯覚に陥ってしまいそうなほどだった。

田植えしたばかりの田んぼと、穂がだいぶ育ってきた麦畑が隣り合わせる南栃木の田園風景。あと1ヶ月もすると麦は黄金色に、稲は背を伸ばし濃い緑となって、不思議な風景になる。そんな平野の風景から山あいの風景に切り替わろうという辺りで、K氏が広い砂利の空き地の横にあるのぼりに気付いてバイクを停めた。
「定食屋です」
「食い物屋でした?なんか旗が立ってるなとは思いましたが」
戻って確かめると、確かにのぼりには定食とある。そして広大な砂利の空き地の奥に小綺麗な作業小屋のようなのがあった。
つづ久
「これ食堂ですか?」
確かに入り口に暖簾が掛かってる。暖簾をくぐると正面にバーのようなカウンター、左右にテーブル席がある。本当だ、食堂だ。
一人で切り盛りしているらしいおばちゃんから下敷きのようなメニューが渡された。載っているのはA、B、Cの定食。御飯おかわり自由で、値段は全て700円均一。(後ほどメニュー外に焼き魚定食とかもあると判明)
「がっつり食いたいんで唐揚げ定食を」とK氏。
「では私はチキンカツを」とTSO。
「腹減ってますからね。じゃんじゃんおかわりしなきゃ」
と手揉みして待っていると、しばらくしてやってきたお盆を見て嬉しい悲鳴が。すごいボリュームだ!K氏の目がピカピカと輝く。
「これは大当たりです!」
つづ久での食事
メインがあまりに多くて、おかわりなんぞまったくできなかった。
あののぼりに気付かなければ食堂があるなぞ建物では判断できない。しかし地元民のみぞ知る店かと思いきや、移動途中で寄ったらしい60代くらいのおっさん集団が店に入ってきた。見つける人は見つけるんだなぁ。しかしこのボリュームはこのご高齢の人達には無理じゃないか?10代20代の運動部学生が食う代物だろう。しかし高齢化の進む山村である。夜はスナックになってそうな感じの店で若い人が食いに来てるようには見えないのだが・・・不思議な店だ。ツインリンクもてぎに行く方は腹空かせて寄ってみるといい。

苦しいくらい腹が膨れ、大満足で店を出た。茂木中心街でTDRに給油し、再びK氏のスマホに案内させて海の方を目指す。
BBQで大賑わいの那珂川に沿うように移動し、途中コンビニで何回か休憩を取りながら、常陸大宮、常陸太田と経由して、日立市あたりで一旦海の側に出たと思ったら、再び山の中の快適ワインディング道に導かれ、高萩辺りで海沿いのR6に復帰した。
R6で北上すると、東北大震災の3ヶ月後に走ったときが蘇ってくる。ひびの入った塀、瓦が崩れ落ちた屋根、地割れや隆起陥没も起きてたが、R6は概ね普通に通れた。津波の形跡はほとんど見られなかったが、日立港や小名浜港にはがれき集積所があって、その凄まじい量に驚いたものだ。
小名浜へ来ると、あの日泊まった健康ランドが丘の上に見えた。あの時は仮眠所もすごく混んでいたが、朝7時にはあれほどいた人がほとんどいなくなっていた。ご出勤したらしい。原発関係者が沢山泊まりに来てるという噂だった。
我々はそこをそのまま直進した。前来たときは原発事故による規制で北上して行けなかったため、この先で中通りの方に曲がっていった。なのでここから先はTSOも完全に知らない道だ。しばらく高速道路のような快適道が続く。

山間から低地の平野に降りてきたところで海岸の方に曲がった。松林が現れ海沿いの道に出た。海沿いの堤防の修理工事をしている。津波で壊れたのを直してるらしい。
その海沿いの道に出たT字路ところでK氏が停まった。
「スマホのぐぐーるナビではここがキャンプ場『いわき市営新舞子キャンプ場』なのですが」
確かに左側に空き地のようなところがあって、奥の松林の方まで続いている。道から進入できるところにはロープが張ってあるし、管理棟やトイレ・水場に相当するような建物はいっさい見あたらない。しかし泊まろうと思えば我々的には問題ない空間なのだが、空き地を見渡せる位置に民家が2軒あるので、後ろめたい泊まり方をするには目に付きやすい。

もう少し行ってみようと海岸沿いの道をしばらく北上してみるが、松林の中にそれらしき空間はなく、そのうち『仁井田浦キャンプ場駐車場』の標識が現れた。ここは第2候補にしてたところだ。
仁井田浦キャンプ場(跡)
しかしここも松林の中にキャンプ場らしきところは見あたらない。ただキャンプできそうな空間はあり、端の方にホームレスらしき人が住み着いてる。実は15年くらい前に仁井田浦キャンプ場には泊まったことがある。松林の中の雰囲気は当時の面影があるのだが、もっと広かったように思う。
道を挟んだ反対側には店や砂浜に下りるところがあって、海水浴客で賑わってたはずだが、今は堤防工事中。壊れた建物や人気のない民家、「定休日」の看板の前に「売物件」の看板が置かれたカフェが寂しげにああるだけ。堤防の向こうにも浜はなく、消波テトラが置かれてすぐ海になってた。ひどく寂しい。
仁井田浦キャンプ場(跡)の前
「どうしましょうか」
「ここはあのホームレスが気になりますね。でも端の方にいるから、反対端に陣取るならいいでしょう。さっきの新舞子キャンプ場(跡)は民家の目が気になります。泊まるならここ仁井田浦キャンプ場(跡)の方が心配は少ないかな」
かなり悩みどころだった。
「では仁井田浦キャンプ場(跡)に仮決定して買い出し行きましょう」
「ははは、また”廃”キャンプですな」
確かにまた”廃”キャンプだ。しかし今回の”廃”はなんだか悲壮な感じがする。
TSOのヒュンダイナビで見つけた、この近くの常磐線四ツ倉駅そばのスーパーへ買い出しに行った。キャンプ地が確実なら先にテント設営してから買い出しに行くのだが、ここではまったくその気になれなかった。

買い物も終わったスーパーの駐車場でもう一度K氏と顔を付き合わせた。K氏の心配はもっともだ。今回も廃キャンプになるのは必至の雰囲気だが、そのキャンプ地がどうにもすっきりしないのだ。
「この先のも見てみませんか?」
実はもう1カ所候補地として、さらに25キロほど北上したところに『天神岬スポーツ公園キャンプ場』というのがあるのだ。日暮れも近付き、TDRもそろそろ給油時だ。でも・・
「行ってみますか」
我々は北上してGSを探しながら『天神岬スポーツ公園キャンプ場』を目指すことにした。

この先は交通量も減り、代わりに警察車両が多くなった。原発事故の時の指揮所になっていたJビレッジも通過した。広野の道の駅は双葉町の警察署が臨時庁舎として使っているし、元畑らしき所には黒い円筒形の袋がずらりと積まれていた。もしかして除染した土とかの仮置き場じゃないだろうか。歩行者・バイクが通行禁止になっている富岡町まであと数キロに迫った(帰宅困難区域の双葉町ー富岡町間約14キロは車は走れるが歩行者・バイクは通行禁止となっていた)。

独特の雰囲気と緊張感が漂う中、目標の『天神岬スポーツ公園キャンプ場』に着いた。夕方なので人気はないが、たまに観光っぽい車がやってくる。昼間は売店やってるのだろうか。一応公園はきれいに整備されていた。しかしテニスコートは草が生えて荒れてるし、芝生も水をやってないようで砂漠化しつつある。
天神岬スポーツ公園テニスコート前
天神岬スポーツ公園キャンプ場
オートキャンプ場と普通のキャンプ場があるのだが、営業している様子はない。オートキャンプ場の水は出なかったが、普通のキャンプ場の水場は水が出た。トイレもきれいで使える。放射線のモニタリングポストもあり数値が表示されているので、そっちの方の心配も客観的に見ることができる。
天神岬スポーツ公園モニタリングポスト
さてどうするか。
普通のキャンプ場の方は泊まってもいい気がする。だが、海の方から吹く強風がもろに当たっていて、場所としていい状態じゃない。火を使う上でも支障あろう。オートキャンプ場は今吹いてる風がちょうど防げていていいのだが、管理棟(人がいるかは不明)から一望できてしまい、後ろめたさが残る。正規の利用なら1泊5千円のところだ(水も電気も使えないので請求できる状態じゃないと思うが)。
では公園や城跡(天神山城跡とあって、土塁などが残っていた)は風も防げて下草もあって快適そうなのだが、本来のキャンプ地ではないし、焚き火もできない。
K氏に「お任せします」と全権を委譲されてしまった。
暗くなりつつあった。ここまで来る間にTDRは150キロくらい走っており燃料はかなりヤバい。ここまでいくつかあったGSはことごとく定休日か永遠に定休日になっているかだったので、戻るとしても確実に買い出しをした四ツ倉まで30キロは燃料補給できない。四ツ倉近辺のGSも時間的に閉店になる可能性もある。ここはトイレも使えるしきれいなのだが、一番使いたい場所が強風に晒されて、それ意外の場所は後ろめたすぎる。
「戻りましょう。最もおとがめのリスクない仁井田浦キャンプ場(跡)まで」

この判断は色々と賭であった。最も賭だったのは燃料。出発してすぐTSOのTDRはリザーブになった。もし四ツ倉でも給油できなかったら・・・。まだ40キロは行けるはずだ。賭けるしかない。車の後ろにぴったりくっついてスリップストリームも使いながら低燃費走行に神経を使う。
すっかり日が落ちたというのに、キャンプ場周辺の民家の窓の明かりはほとんど点いてなかった。帰れてないんだ。

買い出しした四ツ倉駅を通り越した先で、営業しているGSを見つけた。これで最大の懸念は払拭された。
GSから松林沿いの道へ出ると、そこは新舞子キャンプ場(跡)だった。宿営候補の方ではない。しかし移動するのも疲れた。もう真っ暗だし、奥の松林の中まで行けば住民にも見つからないで済むかもしれない。
「もうここでいいですかね」
二人とも同じ考えだった。
入り口付近の深い砂地を越え、元キャンプ地へバイクで入っていった。

広場を抜け、松林に入ってすぐのところのスペースにテントを張った。民家の灯りが直視できるので、存在はすぐバレそうだ。真っ暗な中でのテント設営は、TSOは年始の耐寒キャンプ以来今年2回目。ライト片手に二人とも慣れたもんである。
焚き火の燃料には困らないところだった。松林の中なので、小枝や松ぼっくりが足元に幾らでもある。それに津波を被った塩害でか、枯れた松を切ったのが山と積まれていた。
テントとバイクに囲まれた中央を宴会場にしてビールの缶を開け、ようやくくつろぎの時間、夕食に取りかかった。
ようやく夕食

今日は走る覚悟だったので、TSOはいつものように飯を作ることを最初から放棄していた。家にあった古い非常食の赤飯パック、カップ麺の蕎麦、春雨スープ、スーパーで買った缶詰。こういった日持ちするものでも2年を超えた古い物には独特の健康に悪そうな臭いが染み着いている。3年以上しても平気なのは缶詰くらいだ。
水は新たに汲めないので飲料用以外の使い方は控え、赤飯パックを温めるのも放棄して何かのスープの素の中に放り込んで雑炊状にして食った。なあに、野外で食えばそれだけで旨さ倍増だ(限界もある)。まともな食い物は自作ウッドガスストーブで温めた缶詰だけであった。
一方K氏は炒めたベーコンと豆をトマトソースで煮込んだチリビーンズ風。それにフランスパンを添え、アメリカ西部開拓時代を彷彿させる正当なキャンプ風景を演出した。さすがである。
K氏の作った夕食

食事の後は火を見て寛ぐ。TSOのウッドガスストーブがきれいな二次燃焼の炎を上げるのを見てK氏もたまらなくなり、ネイティブアメリカン式のスター型ファイヤーを始めた。放射状に敷いた薪の集まった先端で燃やすこの方式は、小さな焚き火が作れ、火持ちも燃費もいい。
夕食後の焚き火
しかし薪には事欠かない場所な上、酒量が進むにつれちまちまと火加減、薪加減をコントロールがするのが面倒になったか、無造作に放り込んだ薪が大きな炎をあげて松林の中を照らし出した。
これが決定打になったか、何やら今はやってないキャンプ場の中に侵入した輩が林の中で火を焚いて怪しげな事をしていると、おそらく向かいの民家の人が我慢できず通報したらしい。闇夜の中から服に反射板を付けた人が2人、宴会もほぼ終わってそろそろ片付けをと思っていた夜0時頃(よくまあこの時間まで我慢してくれました)、我々の所にサクサクと足音を立ててやってきた。お巡りさんである。
「どうも~、お邪魔します。キャンプですかね~。このバイクで来て?明日出発?火は・・・あ、熾しちゃってるのね」
茨城・福島方面らしい訛りで、万が一危険な奴だった場合を考慮してか「私もねーバイク乗るんですよ」と友好的な雰囲気を保ちながら職務質問をしてきた。その間バックアップの一人が少し離れたところからいつでも援護できる体制を取って警戒している。色々そこまで言う必要あるかなと思うような質問もあったが、こっちも別に隠したりはぐらかしたりするメリットもないので、素直に応対すると、
「火だけ消してもらって。明日には出立されるとのこと、別に怪しい人じゃないと住民の方には伝えておきますんで。お気を付けて、おやすみなさい」
とトラブルなく引き取ってくれた。
話によると、ここは確かにかつて市営のキャンプ場だったが、震災で津波をかぶってからは管理委託してた人もやめちゃって閉鎖になってるとのこと。この辺がどんな規模の津波だったのかは知らないので勝手なことは言えないのだが、残った建物の感じから、三陸のような数十メートル級の高さとか、平野部でも仙台のような家が吹っ飛ぶような威力のではなかったのだろう。でも地震や津波の浸食に加え原発事故、他の地域や諸外国、行政などの冷たい対応から、福島の人達の心は閉ざされ、疑心暗鬼にとらわれ、商売をやってる人や対外的に接触する場を除くと外に対してひどく警戒して信用できなくなっているという気がする。殻に閉じこもってしまっている。いわき以北に入ってからというもの、そういう空気が漂っていた。
最初ここを見た時、ここでは泊まりたくないと感じた海岸の雰囲気、周囲の民家も含めた空気は、あながち間違いではなかったということだ。
「これが今の福島なんですね。肌で感じることができて貴重な旅になりました」
水をかけて消した焚き火跡に、K氏は感慨深げにそう言った。
福島の人達の心を開かせないとここの復興はないのだ。

※Facebookの写真のリンクが切れるので、FacebookのアルバムへのURLをリンクします。
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